Miskplar's Space.

創作者ならではの気合い、熱意、そして狂気。

藤本タツキの漫画「ルックバック」の劇場アニメ化された映画は、最近中国でも上映されました。原作はまだ読んでいませんけど、友達に「一緒に見よう」と誘われたので見に行きました。

「ルックバックは実質創作者の物語」というコメント、この文章を書く前に聞きましたが、やっぱりその通りだなと感じます。

劇中では、京本が不登校で自分を部屋に閉じ込めて引きこもりになって絵を描き続ける話、藤野が「自分の漫画が実は普通だ」ということを意識して上手く描けるように寝食を忘れて社交もやめても必死に描くことを練習する話、そして京本と手を組んで熱意を込めて漫画の創作を続ける話はやっぱり感動して「何かつぶやかなければならん」と思って、この文章を書き始めました。

その感動は、やっぱり創作者としての共感ですねと感じます。

私は、音MADの創作、そしていろんな動画創作、RPGゲーム創作をしています。うまいとは言えません、むしろ下手なことばかり出していても、創作をしなければ感じないことは知っています。それはこころを作品に込めて、自分の世界に吸い込まれて、外の世界を忘れることであろう。毎度気にいったアイデアが出て音MADにしてる時、「私」という存在が消えてスクリーンに入った感じで、それに応じて時の流れがすごく早くなります、気づいたらもう数時間です。

いまでもそういう状況ですが、特に高校の時、音MADについてのことを気にしすぎて周囲の人間から外れて人間関係が希薄化してしまったこともあります、やっぱり「創作物と仲間になった」といっても過言ではありませんね。

それだけではなく、音MADを作りながら数日も寝ないという作者、音MDM天の作品で退職して創作ばっかりに集中する作者もあるそうです。

創作でリアルをそれほどつぶしても惜しくはありません、それこそが創作者ならではの狂気ですね。

まあ幸福なことにネットに接続できて創作者同士と簡単に繋げて「孤独だ!!」「自分のすることは本当にただしいかな?」などとはそれほど感じないですね。


创作者独有的热情与疯狂

最近国内上映了藤本树漫画《蓦然回首》的改编电影,虽然没读过原著,但是被朋友拉去看了一下。

“《蓦然回首》讲的就是创作者的故事吧”这种评论,虽然写这个小作文之前就看到过了,不过感觉还真是这样。

剧情里面,京本把自己关在房间里面狂画画;藤野发现自己的画其实很普通,于是废寝忘食、连朋友也懒得联系的程度去练习画画;藤野和京本一块抱着热情去创作漫画,这些情节实在太喜欢了,有被感动到,想着一定要写点什么东西,就写了这篇小作文。

这种感动的话,我觉得还是作为创作者的同感吧。

我呢,在做音MAD,还有一些其他的视频,还有RPG游戏。虽然谈不上能做出什么精彩的东西,甚至可以说是一直在做些很垃圾的东西,但是还是能感受到一些只有在创作中才能感受到的东西。那就是身心贯注在作品上,被吸引在内心世界里,完全忘记外部世界的存在的这种感觉。每次想到什么有意思的点子然后做音MAD的时候,都会感觉”我”这个存在像是消失了,进入到了屏幕里一样,相应地时间也变得相当快,再次回过神来已经是好几个小时之后了。

虽然现在也大概是这种情况,但是高中的时候这种现象很严重:把精神全部贯注到音MAD上,导致人际关系变得非常的糟糕、稀薄。这种情况说是”和创作物交朋友去了”都不奇怪。

我这个情况比起来还算轻的,我听说还有那种做音mad做得好几天不睡觉,甚至为了做音MDM天的作品连工作都辞掉了的那种作者。

不过比较爽的是生在了一个能上网的时代,和其他作者也能很简单的建立联系,就不会那么觉得”哎好孤独啊”“我做的这些事情真的有意义吗”之类的东西。