Miskplar's Space.

不玩SNS了。

我做了什么?

最近,不想玩SNS了,所以就不玩SNS了。内容包括微信朋友圈、QQ空间、B站、小红书、抖音、贴吧等,推特也不想看了,至于一些微博之类从来就没玩过的,更是没有玩的欲望(也就是说,不包括即时聊天程序,也就是QQ、微信、Discord这些。用即时聊天程序的欲望还是蛮大的)。

这样的行为,用我的时代的语言体系里面,叫做“回归虚无”,而用比较大众化一点的语言的话,就是“退网”吧。不过也不只是退网这么简单,毕竟连现实社交的SNS我也不想有任何接触了,不如说比起网上而言,更多是从“现实世界”中“回归虚无”,也就是说我更想逃离的是现实世界及其衍生的SNS。

为什么?

要说为什么的话,我想应该是因为有一个很强的恨意在!但到底在恨什么呢,连我自己想了很久也也不太清楚,所以,就一边写这个小作文,一边好好梳理吧。

最直接的是,对人际关系的恨。尤其是对我的人际关系的恨。

从旁观者的角度来看,我的人际关系绝对是非常失败的,从古至今在现实世界里没有什么朋友,也没什么对我有印象的人,作为空气人生活着。虽然这样的状态其实是比较无害的,但是在需要用到SNS的场合,就会显得很悲催。这样的情况发生过很多次:往朋友圈发了一些自己比较喜欢的内容,却没什么人反应,反而是现实世界里的其他人发的意义不明的内容能收到很多人的点赞和评论,我对此很嫉妒。这是我放弃SNS的原因其一。想着“既然没什么存在感的话,干脆就消失得彻底一点好了比较好”。

既然都有对人际关系的恨了,我想也肯定带有对人的恨。这种情况以前就有,而从2024年9月9日被赵○○刺杀过后更为严重了:我总会不自觉地、没有理由与证据地认为他人(主要指现实世界里的人,也就是学院里的人,甚至路人)对我持有恶意,从而触发自我防御或者反击机制。而且这些人发的在现实世界里的多彩生活的内容,我根本看不下去,应该也是出于嫉妒吧。我发现我很痛恨这些心理健全、生活健全的人。

不过,只是因为嫉妒别人的生活就对他人产生怨恨——这个不太符合常理吧。原来,我真正憎恨的不是周围的人、周围的人际关系,而是我自己。虽然我一直没有自觉,但这是事实。

我真正在憎恨的是我自己,知道了这一回事过后,许多我的行为也能解释得通了。不想发SNS,是因为觉得自己的生活不配让别人看到;不想看SNS,是知道自己劣于他们,不想直面这个事实;而把人际关系弄成这样,则是出于“自己不够格”的潜意识中,在非自觉状态下的故意为之;之前有过几次和一些人的冲突,明明有更好的解决方案却主动选择一个最坏的,也是出于一样的思考吧。

接下来还要做什么?

大概有两个想做的事情,虽然不一定能做到就是了。

其一、我想在未来更大程度地和社会(也可能单指学校里的人)隔离

其二、明年在日期间,我想完全在现实世界社交圈里假死几个月。(简单来说的话,就是作为Miskplar照常活动,而作为杨柯,则完全不在社交圈中存在。)

SNSをやめました。

何をした?

最近、SNSをやめることにしました。具体的に言えば、WeChatモーメンツ(インスタグラムみたいなやつ)もQQモーメンツ(インスタグラムみたいなやつ)もBilibiliもRed Note(インスタグラムみたいなやつ)もTik Tokも貼吧(5ちゃんねるみたいなやつ)やめました、X(旧Twitter)もチェックしたくなくなりました。その他のは、やったこともなければ、やりたくもありません。(QQ、Discordなどのチャットツール除き、チャットをやめるのは無理ですから)

そういう行為は、私の時代の言葉で「回归虚无」(虚無帰り)と言い、今頃の流行語で「退网」(誰でも見える領域からはSNS断ちで、リアルではまだ周囲の人と繋がります)といいます。まあ単純に退网ではありません、主にはネットではなくリアルから抜け出しますから。

どうして?

なぜと自分に問いかけると、強い恨みが感じます。ですがいったい何を恨んでいるのでしょうか?熟考してもよくわかりませんので、この文章を書きながらゆっくり考えたいと思います。

まずは人間関係、特に自分の人間関係を恨んでると思います。

客観的に見ると、私の人間関係は間違いなく負け組です。過去からもリアルで友達できおらず、私のことで印象に残った人もいないでしょう、透明人間みたいに生きてるとも言えます。そういう状況は別に悪くありませんが、SNSを使っている惨めに見えます。何か皆に見せたいことがあってポストしてみたら誰もいいねをしないしコメントもしませんが、ウケけるやつが意味不明なことを適当に貼ってみると大勢の人からいいねをされていまして、それは本当に妬みますね。「透明人間なんだからいっそ消えてもかまわないなww」と。

人間関係を恨んでいるのは、人を恨んでいるからかもしれない。私には、何の証拠も理由も出せないのに他人が自分に悪意を持っていると思ってしまう傾向があります。そういう傾向が今までずっとありますが、趙○○(元カノ)にアタックされたことでもっと強くなってきました。大学の人間やただの通りすがりの人かには悪意があると思ってやまなくて、防衛機制をトリガーします。そして大学の人間がSNSに投稿してるのはほどんと充実して良い生活ばっかりで私には見かねすぎます。これも嫉妬ですね、私は、そういう心理も生活も健全な人が嫌いなのかもしれない。

ですが、嫉妬だけで嫌いになるわけがないはずです。よく考えてみると、そもそも私が恨んでいるのは周囲の人間でも人間関係でもなく、私自身です。いままでも自覚していませんが、それは事実です。

私が本当に恨んでいるのは私自身です。ということを知りまして、自分がしたことの原因や動機がわかるようになりました。SNSにポストしなくなったのは、自分の生活はみっともないので見せなくてもいいと思っているからです。SNSをチェックしなくなったのは、自分のほうが劣ってるという事実から逃避したいからです。人間関係を潰したのも、「自分が人間関係には不合格だ」と思って知らずにわざとつぶしてしまったのです。この前人との対立があり、より良い解決の仕方がありましたが、わざわざ最悪な選択をしたのも、そういう考えがあったからでしょう。

これからどうする?

したいことが二つありまして、できるかできないか知りませんけどね。

その一、これからは、リアル、特に大学の人間からより離れること。

その二、来年の在日期間、リアルで数月も死んだと思われるほど人と繋がらないこと。(←簡単に言えば、Miskplarとしては普通に活動しますが、楊柯としては仮死状態です。)